川邊:今日はトレジャーハンターの柳生一彦さんにお越しいただいています。よろしくお願いします。
柳生:よろしくお願いします。
川邊:トレジャーハンターということで、世界中で珍しい生き物を捕獲して動物園や水族館に卸すお仕事をなさっているということですが、どういうお仕事をしているか改めて教えていただけますか?
柳生:いろいろと動物について調べて「この国には珍しい動物がいそうだな」というあたりをつけて、調査に行っています。そこである程度、実在することがわかれば一度日本に引き返して、水族館とか有名デパートのイベントに段取りをつけます。
川邊:そういったところに「飼育しませんか?」っていう。
柳生:そうです。スポンサーを見つけて、契約して…、そこからが大変なんですよね。「何月何日までに何匹を必ず生きたまま捕獲する」という契約になるので。
川邊:成功保証ってことですね。
柳生:そうです。しかも輸送とか捕獲にはかなりお金がかかります。契約金は先にいただいているので、失敗すれば全額借金になります。
川邊:なるほど。すごくリスクの高い。
柳生:そんな仕事を20年くらいやっていて、せっかく自分で見つけた魚や虫類、両生類を売ってしまうというのが惜しくなってきて「じゃあもう自分で水族館をやるか」と思って、徳島県に友達と一緒に水族館を作りました。
川邊:徳島県のどこにあるんですか?
柳生:実は、7年目に不審火にあって全焼したんです。それで、その水族館にいた珍しい生き物をなんとかもう一度世に出したいと思って、でも日本じゃ希望するものができない。それでいまタイにずっと住んでいて、あたりをつけているんです。
川邊:じゃあ、いろんな展示企画とか水族館に動物を提供するし、自分でもいま集めていて、火事で燃えてしまった水族館をタイで復活させようとしているんですか?
柳生:はい。いま、いろんな動物を集めています。
川邊:トレジャーハンターになるキッカケはなんだったんですか?
柳生:小学校のときに読んだ、東京水産大学の多紀保彦教授の『未知の国未知の魚』っていう本ですね。その先生は戦前にラオスに行かれていて、そこで調査に行ったときに見た魚をぜんぶ自分でスケッチして挿絵にしておられて。その挿絵の魚を見たとき、あまりに変わった形をしているので、「え? こんな魚、世の中にいるわけがない」「たぶん先生の記憶がおかしくなっているんじゃないかな」と思うと同時に、「もし、この魚が本当に実在していたらすごく楽しいだろうな」と思ったのがキッカケです。
川邊:小学生のときに思ったんですね。
柳生:そのときの気持ちが大人になってもあったので、大学受験が終わって、6ヶ月くらいバイトしてお金を貯めて、単身ラオスに行きました。ところが下調べが悪くて…当時、ラオスって社会主義国だったんですよ。だから、行ったら帰れない。その頃はソビエト連邦とアメリカが戦争していて、冷戦状態でした。メコン川は「鉄の壁」と言われていたでしょ?だから、「向こうに行くとスパイ罪で逮捕されて、一生日本には帰ってこられない」と言われました。
川邊:やばいじゃないですか。
柳生:だから、日本人とわかるものはぜんぶ対岸に置いて、向こうの漁師に頼んで川を渡らせてもらって。家にも泊めてもらって。
川邊:それで、動物を探したんですか?
柳生:はい、宝の山でした。いままで日本で見たことない魚がたくさんいました。でも、捕獲して生きたまま日本に持って帰るのにはちょっと準備不足だなということで1ヶ月だけ調査して、日本に帰ってきました。そのときはまだ学生だったので自分が欲しいものは持って帰っても良いかなという気持ちがありました。空気を膨らませて入るこども用の小さなプールあるじゃないですか?
川邊:ビニールのプールですね。
柳生:あれを5つと、捕獲用の網、それから釣り竿、酸素ボンベ、錦鯉を輸送するためのビニール袋。そういう細かいものをぜんぶ持参して、またラオスへ密入国させてもらって。漁師を雇って、半年間滞在しました。
川邊:欲しい物を獲りまくったんですか?
柳生:獲れた物がぜんぶ持って帰れるわけじゃないんですよ。日本に持って帰るんだったら、小さいサイズほどいい。小さい魚を集めて、土を掘って池を作るんですよ。 その中にまず獲った魚を入れて、状態が良くなったら子供用のプールに入れて。100%の状態にして完璧な物だけをチョイスして日本に持って帰ります。
川邊:ちなみにそれ、日本に持って帰ってもいい魚だったんですか?
柳生:その当時はよかったです。でも問題はラオスから出せないってことです。
川邊:出せない?
柳生:見つかると、密入国だけじゃなくてさらにまずい。社会主義の考え方って、すべての物はその国に帰属しているんですよ。
川邊:どうやって持ち出したんですか?
柳生:メコン川の乾季を狙って、夜中に現地の漁師に手伝ってもらいながら、錦鯉用のビニール袋に入れた魚を両手で持って腰に重りをつけて自分達で横断するんですよ。重りをつけて、体浮かないようにして歩かないと前へ進めない。
川邊:川の中、重りをつけて頑張って歩くわけですね。
柳生:そうそう。でも歩いていると途中にくぼみがあって、そこにハマってしまうんですよ。重りを離すと助かるんですけど、魚がダメになってしまう。だから死ぬギリギリまで頑張ろうと思って対岸に渡りました。そのあと、事前に頼んであった漁師の家に行ってまたぜんぶそこの池に入れて、また養生して、次にバンコク近辺のスッポンの養殖屋さんの池が空いていたので、そこに水を張っておいてもらって、また休ませて。それから梱包してカートで日本に持ち込みました。それが原体験ですね。
川邊:なるほど。最初は仕事じゃなくて自分のために。
柳生:当時、家の6畳の部屋に水槽が20個くらいあったんですよ。水槽の間に寝ている状態だったんです。それで、親から電気代の苦情がくるんです。
川邊:それはくるでしょうね。
柳生:6畳2間の一方の部屋の畳をぜんぶ押入れに入れて、水が漏れても大丈夫なように下にテントシート敷きました。そこに26個の水槽をセットして、帰ってきたらそこにすぐに入れられるように準備してあったんです。それで魚を持ってきて、ぜんぶ入れて。余った分は大阪の有名な問屋に売りに行きました。小さい魚でも、一番安いのが3万円。一番高い値段がついたのが35万円でした。
川邊:おー。じゃあ本当に価値のある生物を獲ってきていたんですね。
柳生:そうです。1回目で1千万円近く売り上げました。
川邊:それは大学何年のときですか?
柳生:1年のときです。それでお店の人に「もっと欲しい」と言われました。
川邊:それで取引関係が出来て、そのままその稼業に?
柳生:そうですね。メコン川もバンバン行けるし。1年半くらい、順調にルートも出来て良い調子だったんですよ。当時、熱帯魚の専門誌が何社かあって、「本を書いてくれ」と言われたんですよ。僕は何も知らなくて、捕獲できる場所もぜんぶ本当のところを書いてしまって、宝探しの宝の地図をぜんぶ書いてしまいました。
川邊:プロらしからぬ行為ですね。
柳生:それを読んだ人が、現地に行っちゃっていきなり25万円の魚が12万5千円になって、その次に持って帰ってきたら2万円になって。
川邊:価格が落ちてしまったんですね。
柳生:最終的には7千円になって。もうダメだなと思いました。