川邊:30年近くで500~600本番組をやってきて、今も20本やってますけど飽きはこないですか?
樋口:まあ「楽しい~!」って伸びない感じですね。「楽しい!」くらいです。
川邊:伸びないんですね(笑) その楽しさとはなんですか?
樋口:僕の師匠に古舘伊知郎って人がいるんですけど、古舘さんがよく言う井上ひさしさんの言葉で「難しいことをやさしく」とか「簡単なことを深く」とか、そういう自分の中でアレンジしていくのは楽しい作業です。
川邊:取り扱う素材をアレンジする?
樋口:額面通りに流すんじゃなくて、パロディにしたりとか置き換えたりとか。未だにそういうことを発見すると楽しいです。
川邊:それは自分なりの作家性みたいなものなんですか?
樋口:自分が子どもの頃に観てときめいたテレビがそうだったっていうのがあるんですよ。面白いパロディをやってたり、あの映画のパロディを誰かがコントにしてたりとかっていうのに、ときめいてたから。それをいま自分がやれてるっていうのは楽しいです。
川邊:じゃあやっぱり、ものをつくる楽しさっていうのがすごくある?
樋口:そうですね。
川邊:莫大な人が番組を観ていると思うんですけど、視聴者の反応を得る楽しさみたいなのもあるんですか?
樋口:それは視聴率となって数字で現れたり、たまたま電車で自分の番組について会話してるのを聞いたりすると、ビックリするほど嬉しくなりますけどね。
川邊:まあインターネットの我々のサービスの場合ですと、「このボタンの位置をちょっとズラしただけでクリック率が何%上がるから楽しい」とかなんで。だから多分、テレビほど作り込まないで出しちゃうんですよ。出して適当にやりながら、人の反応を見て「あ、こんなことになるんだ」みたいな楽しさなんで。ちょっとそこは違うかもしれないですね。
樋口:テレビも「視聴率なんて見るな」っていう時代があったんです。「あれは営業用のツールだから、お前らには関係ない」っていう。とにかく「面白い」ものをつくるために。そのときは野蛮に面白いものもあったり、テレビにはいろんな「面白い」の種類があったんですけど。あるとき「視聴率を見ろ」っていう時代がくるんですよ。そのときにちょっとテクニックを使い始める。そのさっきのボタンの位置じゃないけど、ここにCM入れたほうが視聴率が上がって…とか。
川邊:視聴率のためにテクニックを使い始める時代に変わったと。
樋口:だから純粋に楽しいものをつくってた時期から、「ちょっとテクニックを使いなさい」ってなると、やっぱりちょっと戸惑うんです。なんか「卑怯なことしてるんじゃないか」っていう気が。ただ、そこにも良い卑怯と本当の卑怯があるってことで納得してくんですけど。ネットって楽しいと罪悪感って表裏一体なとこがあるんですか?
川邊:あります。「ここに広告入れるか」みたいな。自分たちのサイトを見ていても、「ここに入れちゃだめでしょ」ってお互いに言い合ったり、あるいはライバルサイトを分析して「ここに広告入れないでしょ、普通」とか。
樋口:それはお下品だとか。
川邊:お下品だとか、ユーザー無視だとか。「まあそこに置けばみんな押すだろうけど」みたいなのはあります。
樋口:そういう議論がいちばん楽しいのかもしれないですね。モラルってほど崇高なものではないですけど。潔く勝ちたいなとか。そういうのはありつつ「ここはちょっとテクニック使っちゃおう」とか。それを繰り返しているところが楽しいのかもしれないですね。
川邊:どうですか、今の若い放送作家たちはそういうテクニックを含めて武装化しているんですか?
樋口:ほぼ時代が変わっちゃって、自分が若い頃は「お前ら若いんだから、そういうテクニックとか考えないで好きなことやればいいんだよ」ってあったんですけど、今は若い放送作家って観ているお手本がテクニックだらけだから、はなからテクニックが入っちゃうんですよ。だからそういう意味ではかわいそうだなって思います。
川邊:もっと自由に作れていた時代のテレビを、観ていないと。
樋口:だからその人たちに「自由にやれ」って言ったときに、ピンときていない時代になってるなとは思います。
川邊:ちなみに放送作家になる前はテレビっ子だったんですか?
樋口:そうですね。本当にファミコン前の世代ですから。
川邊:テレビしかないみたいな。
樋口:テレビのために、駅から走って帰ったりとか。
川邊:そういう会話につながるような、思い出に残るような自由奔放な番組とか、大好きだった番組はありますか?
樋口:やっぱりお笑い番組とかバラエティって言われるのは好きでした。『ひょうきん族』とか。ああいうのって、ちょっと自分にボキャブラリーがないと笑えないっていうのもあるんですよ。映画を観ておかないと、ズレが分からないとか。
川邊:ある程度、前提の知識がないとダメ?
樋口:そうです。ビートたけしさんが出てきて、これまでは世間話っぽいものを漫才にしてたのが、ちょっと知的要素も入っているんですよね。マリー・アントワネットのことを知らないと、このギャグは分からないとか。テレビからいろんなものを教えてもらった感はすごくあります。