川邊:中野さんは、ずっと脳のはたらきに夢中になっているんですか?
中野:変な人に夢中。
川邊:変な人の頭の中はどうなっているんだろうって思い始めたのはいつくらいからなんですか?
中野:これは、まずは自分が周りから浮いていたというのが原点なんですけど。
川邊:それはいつくらい?
中野:物心ついたときからなんか違和感があって、変だなと思っていたんですけど、周りに溶け込めないというのがそうです。自分の母もちょっと変わった感じなので、母譲りなのかなと思っていたら、どうも妹は普通なんですよ。友達もいっぱいいるし。「あら〜?」と思っているうちに、中学校のときに決定的な事件があったんです。学校のテストをやるじゃないですか。テストをすると、先生はみんなが良い点を取れるように問題を出しているんですよ。だって授業でやったことしか出ないから。それで「なんでみんなテストで良い点数取らないの?」って聞いちゃったんですよ。
川邊:大半の人は授業を聞いていないという事実が分からなくて。
中野:そう。それを言ったときにみんなが凍るような感じがあったんですよ。これは、言ってはいけないことを言ってしまったんだと、鈍かった私にも分かって。「これは脳の勉強をしなきゃ」と思ったんですよ。「私はどっかおかしいから、脳の勉強してなんとか普通の人の振る舞いを身に着けないと、生き残れない」と思ったんですよ。
川邊:さっきのサイコパスじゃないけど、浮いちゃってるからやばいと。実際、いじめられたりしたんですか?
中野:そもそも誰も近寄ってこないので、いじめなんてあわないんです。浮きすぎて。
川邊:その浮きを克服するために、脳のことを勉強しなきゃと。
中野:「みんなの振る舞いの原因をなんとか知って、みんなの振る舞いを学習しなきゃ」と思ったんですよ。でもね、本屋に行くと「犬猫占い」みたいな本しかないわけですよ。心理学の本って、そういうポピュラーサイエンスの本とか、あとは本当かどうかよく分からないフロイトの学説とかしかなくて。脳の本もそれはそれで物足りないところがあるわけですよ。なぜ物足りないか。このとき、『ニューロン』っていう本があって買ったんですけど、神経のことしか書いてない。
川邊:神経の解説しかないと。自分がなぜそうなっているかの理由はよく分からないと。
中野:「自分で研究しないとダメか」と思いました。道のりは遠いけど、まあ分からないよりはいいか、というのと、大学に残してもらえれば、世間で就職しなくても細々と生きられるかもしれないと思って。それで大学の研究職がいいなと思ったんですよね。
川邊:それがきっかけで脳科学者になって。それで実際にご研究をされて、いろいろなことが分かったわけじゃないですか。それで自分の個性と社会性との調和っていうのは、結局どうすればいいんだっていう。
中野:人工無脳ってあるじゃないですか。Siriみたいに、データベースを用意しておいて、「この言葉がきたらこれを返す」をためていけば、多少のことはなんとかなるんだというのがよく分かった。定形の反応は返せると。逆に、定形でない反応でない場合は、結構面白がってもらえるんだということも分かって。それを受け入れるようにしたというのが対処法の一つ。ところが、中身に関しては意外とブラックボックスなところが多い。このブラックボックスのところは、まだ面白いので続けてやりたいと思っているところです。さっきの社会性のところですね。みんなはSiriみたいには反応していないようなんだけれども、どうも集団になるとSiriのように反応したり。
「人工無脳」
英語圏ではchatterbot、もしくはchatbotと呼ばれる会話ボットあるいはおしゃべりボットといったようなコンピュータプログラムのこと。「人工知能」「人工頭脳」からの派生語である。
川邊:思ってもいないのにそういう反応したりしますもんね。
中野:おそらくさっきのオキシトシンというのは、前頭前野背外側部の機能を抑えるものなのかもしれない。自分の合理性をとりあえず麻痺させて、みんなのためになにかしようという気持ちを高めたりという。
川邊:それは社会的技術が、人類が生き残るためにそういう機能になっていったんですかね。
中野:そうだと思います。例えば狩猟に行くじゃないですか。それで狩猟に行ったときに、イノシシと一人素手で戦って勝てると思いますか?絶対に無理ですよね。そうするとどうしたら生き延びられるかというと、集団を作るしかないわけですね。それを作るための、脳に備え付けの機能が社会性。前頭葉にある共感の機能なんです。
川邊:そうすると、個で孤立して生きていけるものでもないので、普段は個として生きているけれども、集団とかが出てきた場合に、ある種そっちを優先するように脳が作られている。
中野:社会性スイッチみたいなものがあって、個体でいるときは個体の利益優先でもいいけど、社会性スイッチが入ったら、個体の利益はとりあえず置いておいて、みんなのための行動の方を美しいと思わせ、その行動をプロモートするように脳ができていたりします。社会性のある行動って、短期的には個体の存続に不利益になることがほとんどだから、脳が「美しい」という形で報酬をダイレクトに感じる以外に報酬のありようが無いんです。個体を優先するように作っているのだけれども、いったん集団を形成したら、強引にその集団のために生きさせるようにしてしまう。美しいとか正しいとかいう感情を持たせて、ヒトに向社会的な行動を取らせるようになんとか仕向けているんです。
川邊:そういう行動を取らせているときには脳内麻薬がドバーっと出て、気持ち良い状態になっているわけですか。酔いしれて。
中野:自分は正しいことをしている。自分は美しいことをしていると思うようにできているんですね。
川邊:中野さんはそういう分泌とか反応とかが弱いんですか。
中野:そうかもしれないですね。感動しないことは無いけれど、美しい、正しいという基準に対して非常に懐疑的ではありますね。だから、みんなが集団で動いていて、「これは正しいんだ」と無条件で捉えているときに、一人だけ「ん?」となって立ち止まってしまうことは多いです。美しいと感じる気持ちは弱いと思いますね。
川邊:一応、メカニズムは知っているから、これを「みんな美しいと思っているんだろうな」と思いながら、「自分は思わないんだけどな」と思いながら生きているということですか?
中野:そんな感じですね。大人になってもみんなに溶け込めなかった。脳科学をやったらやったで、そこの溝はあるのかもしれないです。
川邊:そこまでメカニズムが分かっていれば、自分を訓練していって、だんだん社会的な美しさとかに酔いしれるみたいなことって、ちょっとずつできるようになってきたとはならないんですか?
中野:前頭葉の機能はどんどん衰えていくんです。皮膚がたるむように脳もしぼんでいきます。いちばんその影響を受けるのは前頭葉、前頭前野なので。合理的な判断がだんだんできなくなっていくし、抑制もできなくなっていくし。そうすると、みんながオキシトシンで止めていたところを、加齢によって機能を失っていくので。「若い頃は美しいとは思わなかったけれど、感動できるようになった」と、60歳くらいで思うかもしれない。
川邊:じゃあいわゆる一般的に、若い頃にとんがっていて大人になって丸くなった人っていうのは、そういう前頭葉の機能が収縮してそうなってるんですか。
中野:そうです。体は衰えていくんだから、脳だって衰えて当たり前じゃないか。それは、決して悪いことではないと思います。
川邊:いつくらいから衰え始めるんですか?
中野:20代半ばくらいからですかね。育っていく部分もあるんですが、前頭前野が完成するのが、25歳から30歳くらいという研究者たちの見解があります。それくらいがおそらくピークで、あとは完成したら落ちていくんだろうと言われています。じゃあニューロンが脱落したら機能が落ちるかといったら、確かに合理性みたいな部分は落ちるけれども蓄積された部分っていうのは残るんですよ。それを総合すると、50代半ばくらいがパフォーマンスとしてはいちばん優れているんじゃないかなと。
川邊:判断能力みたいなものは低減していくけど、知識が増えていくから、バランス的には50代半ばがいちばん冴えていると。その逆で一生、発達し続ける器官みたいなのもあるんですか?
中野:発達と言うか分からないですけど、新しく神経細胞が生まれてくるということは分かっています。かなり前の実験でアメリカとスウェーデンの学者が結構な高齢で亡くなった方の脳を見て、「神経が新しく生まれてるんじゃないか」ということがわかったんですよ。死ぬまで脳は新陳代謝しているし、神経細胞も生まれるので、それをうまく活かしていけば、そんなに萎縮の影響は怖がらなくていいかもしれないです。